スポンサーサイト
-- / -- / -- ( -- )
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-- : -- : -- | スポンサー広告 | page top
2012 / 11 / 02 ( Fri )
aasw.jpg

最近、自分がマイナスばかりを拾って歩いていることに気づきました。
そのせいか、キッズの活動報告もできないくらい、エネルギーダウン…。

ですから、昨日は一日中、「私はプラスを拾うことができます!」という、
自己宣言をして、自分を励まし、自己再生していました。

そして、自分にプラスを与えるために、久しぶりに美容院へ行き、
そのあと、うちの町にあるおシャレなカフェにいって、ランチをたべました~。

そして、夜。
ある方からお電話をいただき、小学校の学級の様子をお聞きしました。

それをお聞きして思ったのは、
「無秩序な状態とは、闇の状態である」ということでした。

闇であり、混沌としている状態とは、まさに、神が天地を創造される前の状態です。
そこに「光あれ」といって、光がさしこんだところから、秩序がうまれてきます。

まさに「光」とは、「秩序」のことであり、
「闇」とは「無秩序」のことであります。

今の日本、いや世界では、子どもの世界から、大人の世界まで、
いままで保たれていた秩序が、いたるところで崩壊しているように思います。

いや、「秩序」だとおもっていたものが、実はただの「支配」であったというところは、
その崩れ方が、顕著でひどい有様です。

崩壊寸前の企業、学校、政府、団体…。
それらは、今まで何に「支配」されていたのでしょうか?

支配は、「恐れ」のあるところに生じます。
「恐れ」は、人の精神をうちのめし、破壊するパワーがあるのです。

そして無秩序は、「愛」がないところに生じます。
「愛」は人の内側に命を生みだす秩序そのものだからです。

家庭に愛がなければ、そこは当然、無秩序になるでしょう。
その中で生きなければならない子どもたちは、かならず愛に飢え渇いてきます。

その飢え渇きが、学校や友だちという集団の中で叫びをあげています。
渇いて叫ぶ子どもたちに、どうやって水を与えるのでしょうか?

それは、命の水をくださる方に働いていただくことではないでしょうか?
聖書は、「私を信じる者は、その人のうちから命の水が湧き出る」といっています。

聖書の神、イエス・キリストが命の水をくださるのなら、
「ください」と、信じて祈るのみです。
08 : 02 : 48 | 放課後キッズ・寺子屋 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
<<タイトルなし | ホーム | タイトルなし>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバック URL
http://seminahausu.blog63.fc2.com/tb.php/1058-4160d6f3
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。